雑記の最近のブログ記事
夏は毎朝のように、ちょっと早めに目が覚める。
いつものように、のはずだったんだけど。
ちょっと後に携帯電話が震えて
あれこんな時間に目覚ましかけてたっけな、と
ぼんやりしてたら
隣の部屋でTVを見ていた嫁が
「緊急地震速報だって!」
ぎゃあああああああああああああああ
そんなわけで、関東全域に大地震の予報が轟いたわけだが、
ピクリとも揺れませんわよ。
写真立てと姿見とTVと電子レンジを床に下ろす余裕すらできてしまった・・・
http://www.youtube.com/watch?v=Wnx0rtlEoZ4
↑もうYouTubeに上げてる人がいた! 早いな!
いや、誤報なら誤報で良いんだよ。
誤報の方が幸せなんだから。
あと、どうも誤報とは言い切れなくて、
同じ時間に、予報された地域で、小規模の地震は起こってたんだ。
http://www.jma.go.jp/jp/quake/20090825064313384-250637.html
携帯電話が震えたのは、以前設定していた
au提供の緊急地震速報システムだった。
はからずも、緊急時にはタイムラグなくちゃんと動くことが確認できたよ。
まだちょっと地震が来そうな気がして怖くて、
今日は出かけたくないな・・・
今回何がいちばん怖かったかって、
地震速報とほぼ同じ時間に目が覚めてるんだよ!
動物はもっと前に予兆を感じるときがあると言うから、
直前くらいは人間も予兆を感じたって悪くはないよね・・・
まあ、TVの地震速報の警報音で起きたんだろうけどね・・・
http://www.youtube.com/watch?v=F0r8u23QjbI
先日、ついに30歳になりました。
自分としては、悪い冗談みたい。
一番古い記憶、3〜4歳くらいの頃から
自意識の質が変わったことなどただの1回もなく
ただひとりの自分がずっと連続して存在し続けているのに、
体の方は、背が伸び、ヒゲが生え、
そして今、腹が出て、顔がたるもうとしているのです。
ふと、気づくのです。今の姿は、どこかで見覚えがある。
一番古い記憶の中の、父親の姿と同じだと。
僕は30年かけて、ようやくお父さんの背中に追いついた。
ここからは、誰にも頼れない僕の人生なんだ、と。
母親の「広くんが30歳だってウワー気持ち悪い」という声が
どっかから聞こえてくるようです。
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三十路を迎えて、
深く思いを致すところはいろいろとありますが
ここに来てさらに大事になるのは
いつでも、自分は間違っているかもしれないと
常に省みる心だと強く思うようになりました。
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論語では、30歳は自立の歳と表現されています。
現代においても、平均的な30歳というのは
なんとなくそうあるべきな雰囲気の年頃だと思いますし、
社会の中での役割としても、
わからないなりのチャレンジがいっそう増えてくるように思います。
しかしここで、多大なる試行の末にほんのわずかな成功を経験してしまうと、
その成功の陰には天文学的な数の失敗が隠れているにも関わらず
自分は努力の末に成功ばかりしてきた、結果として非常に正しい人間であるという
とんでもない勘違いをしてしまいがちなのではないか。
ということを、最近考えるようになりました。
失敗はただ失敗であって、成功への道のりとは限らない、と最近思います。
なぜならば、どれだけ正しいはずのことを学んでも
人間は同じ失敗を何回も繰り返したりしますね。
ただできることは、
その時々で状況証拠としての正しさのかけらを積み上げて
自分は当該局面においては正しそうだと、ほかの人に主張するところまで。
受け入れてもらえたら、それはただラッキーなだけ、なのかな、なんて、
最近思います。
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それはそれとしてね、
最近ね、親知らず抜いたんですよ。
親知らず。初抜歯。よりによって30歳の誕生日の日に。
もう怖いのなんの。
夢の21世紀になっても、医療行為としての抜歯は
ごっついペンチで力任せに抜く、というだけ。
麻酔が効いてるので痛みはないけど、
いざ抜けるときに、いままで空気の入ってなかったところに空気が入る
プシ、プシ、なんて音とかが聞こえたり。
ベリーおそろしや。
親知らずも生えていない子供の頃、
30歳っていうのはすごく遠い未来だったので
いま親知らずを抜いた30歳の自分っていうものに対して
すごく現実感がない。冗談みたい、夢の中みたいです。
これからもっともっと、子供の頃には予想もしなかった
冗談みたいな出来事が僕を悩ませていくのだなあ、と思うと
これからの人生がプラモデルみたいな、
ぺらっぺらのフィクションのようなものとして感じられるのです。
白MacBookが割れまくって困っちゃってた、という話を昨年夏に書いたのですが。
http://scissorhands.jpn.org/2008/07/post-236.html
http://scissorhands.jpn.org/2008/08/macbook20080829.html
Appleがひび割れ問題をサービスプロバイダー向けに
「公式に」認め、アナウンスしはじめているとの報道がCNET Japanでありました。
http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000056025,20391348,00.htm
戸田が修理に出したあたりで既に無償修理対応は始まっていたようですが、
公式の対応となったのは2009年3月からの話みたいです。
気になる方は修理に出してみましょう。
ちなみに8月の対策の効果はてきめんで、今のところベゼルが割れる心配はなさそうです。
我が家に食器棚がやってきた。
これまでは、一人暮らしのときに使ってた
スチールラックを流用してたんだけど
嫁が食器をどんどん増やすので収納の限界に達していた。
そもそも嫁は「流用」というのが嫌いなのだ。
食器は食器棚に!
では食器棚を買いましょうか、となったのだけど
その選び方に関しては
なかなか我々にしては珍しいくらいの夫婦げんかになった。
最初は、下北沢の古道具屋。
ちょっと古い食器棚っていいよねえ、なんて話をしてたはずなのに
最終的に嫁が買いたいと言い出したのは「本棚」。
良い質感だし食器棚として使うのも変じゃない、と主張する嫁に
でもホコリがたまりやすいから扉付きの食器棚が良い、と反論したが
嫁は一度こうと決めたら絶対に聞き入れない。
1週間悩んで、本棚でも良いかあ、と自分を納得させた頃に
じゃあ買おうか、と切り出したところ
嫁は今度は別のが欲しいと言い出す。
1週間悩んで、じゃあ別のでも良いかあ、と自分を納得させた頃に
嫁は今度は別のが欲しいと言い出したところでオレ限界。
ムキー
そんなある日、嫁が中古の良い食器棚を見つけたというので
嫁のセンスにまかせて、買ってきてもらった。
この食器棚が非常に良い。
あまりまじめに採寸していなかったのにも関わらず、
なぜか我が家のキッチンにぴったりおさまるサイズだった。作り付けみたいに!
扉付きで大きいし、食器も余裕で入る。
僕の理想でもあり、嫁の理想でもある、そんな奇跡の食器棚。
けんかまでしてしまう、終わりのないやりとりの末にも
互いの理想にたどりつけるものだなあ、と
桜咲く土曜の昼下がりに、嫁の隣で感慨にふけっていた。
北朝鮮がロケットを発射した、とTVが騒ぎ出したのは、そのときだった。
あの先についているのが核弾頭で、まっすぐ東京を目指していたならば
ようやくたどりつけた僕らの食器棚も灰になってしまうのだな、と
おだやかだけど悲しい、桜吹雪のような気持ちになったのだった。
どうもここのサーバーがしばらく重かったようですね。
とりあえず見るだけは軽くしてみました。すみません。
あと、携帯用の壁紙も、時間がかかってもタイムアウトせずに見られるようにしました。
Alfrescoっていうソフトが最近気になって、
暇を見てフリー版を試用し始めてる。
ジャンルとしてはEnterprise Content Management(ECM)。
CMSと称される類の、Web的なコンテンツの管理システムにとどまらず、
Word、Excel、PowerPointな、いわゆるOfficeドキュメントまで含めた
統合的な構成管理ができる、なかなかのスグレモノみたい。
売り文句と思われるところの動作を、実際に試してるところだ。
SubversionをもっとわかりやすくしてブログとWikiも追加しちゃった、
みたいなものだと言えばいいのかな。
MicrosoftのSharePointのクローン、みたいな位置づけらしい。
単にバージョン管理するだけじゃなくて、
あるファイルに対して更新等のアクションが発生したときに
前もって「ルール」として設定されたチェーンアクションを
自動的に実行することもできる。
例えば、Excelで作られた仕様書が改変されたときに
自動的に印刷文書フォルダにPDF出力するとか・・・
また、Web管理画面がメインのインターフェースではあるけれど、
オープンソースのCIFSミドルウェアを取り込んでいるので
仮想的にWindows共有フォルダとして扱うこともできる。
もちろん、Windows共有フォルダとしてのアクセスに対しても
上述の「ルール」を適用することができる。
設定次第では、
見かけ上はWindows共有フォルダ上で
直接Officeファイルをいじってるだけなのに
自動的にバージョン管理して、バックグラウンドで更新通知メールを送信、
なんていうことも簡単に実現可能だ。
SharePointプロトコルもJetty経由で実装してたり、
とにかくWindows環境への親和性が重視されている気がする。
# これらの機能がフリーで提供されているということが、
# 一番の特色かもしれない。
以前、TortoiseSVNが流行ってきたときに
ああこれなら、Windowsの操作がやっとのPCに不慣れな人でも
Subversionで感覚的に構成管理できるよ、
と思って職場で試してみたことがあったんだけど、
その考えは非常に甘かった。
体感的な統計値として、世の中の30〜50%の人にとっては
リポジトリとかチェックアウトとか差分管理とかの概念は魅力的ではない。
簡単に言ってしまえば、理解に小一時間かかるようなシステムというのは
その時点でまったく合理的ではないということだ。
(ある意味でそれは非常に正しい)
最新の状態が必ず正しいという無根拠で無責任なビジネス文書編集や、
ひたすら日付文字列とか「bak」とか「暫定版」とかの
サフィックスをつけたフォルダやファイルの作成などが
内部統制云々うるさいこのご時勢で後を絶たないのは、そういうわけだ。
そういう現状を踏まえて、
Alfrescoのように利用者に対して殊更の理解は求めないけど
裏で必要なことはきちんと複雑にできる、というシステムは
とてもとても正しい、と思う。
今のところわかっている様々な理由から
Alfrescoを使うことがベストの選択とは現時点では言いがたいけど、
他にここまでの状態に仕上がっているものもあんまり思いつかない。
CMSの共通規格であるCMISが
今後本格化するかもしれない昨今、
構成管理が気になりだしている方は一度試されてはいかがでしょうか。
フルインストール版だと導入も非常に簡単です。
なお、日本語の翻訳や、日本でのサポートは
株式会社イージフが3年も前からやってて、
ここの先見性は素晴らしいな〜と思った。
高永さんが場内の音楽を担当された展示「WyzArtifact」を見てきた。
ライフスタイル家電ブランド「amadana」に携わった
元リアル・フリートのチーフエンジニアである桂隆俊さんと、
同じく元インテンショナリーズのチーフデザイナーである
中村直登さんにより創設された
クリエイティブファーム「Wyzart Inc.」による展示発表会、とのこと。
案内には、
「様々な人々がこれらの作品を見たり体験したりする事で、
今後の世界中のものづくりの進化に繋がる
良いインスピレーションとなればと願っています。」
とある。
本当に種みたいな状態の初期衝動から
そのまま猛スピードで作りあげてしまったような、
無邪気で実験的な4つの製品。
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高永さんが今回担当された音楽は、
4つの製品に対して4つの曲。
トイピアノなどの優しい音源により紡がれた散文的なメロディ群を、
Wyzartの作業場で収録したらしいサウンドスケープがひとつなぎにする、
というものだった。
曲と曲の間には、図面の紙を新しくめくる音。
つまり、この音楽はWyzartの連綿たる制作風景の
説明になっているというわけだ。
こういった、作品への細かい意味付けに
僕はすごく共感するし、とても良いと思う。
気遣いなんだと思うんだよね。
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ところで、肝心の展示内容については、
僕が案内文中の「単なるプロトタイプではない」の一文を勘違いして
作品を見る上で製品としての完成度に神経質になりすぎたため、
非常にモヤモヤしたものが残ってしまった。
(たとえば、腐食しやすい無垢の銅を
日頃から手に持つものに用いるのは良いことなのか?とか)
ぜんぜん無粋だし、
展示の主旨にも沿わない悪い態度になってしまったと思う。
もっと気楽に見て良かった。
でも、あるいはそれも「こうすればもっとよくなる」という動機を
僕に抱かせたというところでは、
そうそう展示会の主旨とは外れてはいないのかもしれないのかなムニャムニャ
1999年、僕が大学1年生のときから憧れ続けていた
ワイルドマイルドというバンドが今日、
最後の曲を奏でた。
3回目のアンコールで、もう次はないのだということが
よくわかってしまった。
ライブが始まるまではずいぶん気楽にいたのだが、
曲が始まると、とても穏やかな気持ちではいられなかった。
最初に会ってから10年、写真を横で撮り出してから6年。
久しく聴いていなかった曲の数々が演奏されるたびに、
良い思い出も悪い思い出もみんな燃やされていくようで
苦しかった。しんどかった。
でも、きっと必要なことだったんだと思う。
今夜は、ステージがすごく遠かった。
いつもの千葉LOOKのはずなのに。
僕は、LOOKに行き始めた頃にステージをすごく遠くに感じたのは
ライブハウスというものに不慣れだったからだと思っていた。
でも、今夜はそれが間違いだとわかった。
たぶん、ワイルドマイルドの今までのライブで
いちばん多くの人が来ていた。
人の山を越えた先、遠く遠くのステージで、
僕が大好きだった曲が終わっていった。
何回も、何回もだ。
ライブが終わり、ほどほどに人がはけた後で、
タカヨちゃんが企画したプレゼント映像を
メンバーに見せた。
彼女は3年くらい前から
ファンのみんなで歌のリレーをしている映像があると良い、
と言っていて、
今回、ワイルドマイルドへの感謝の気持ちをこめて
作ることにしたのだった。
いろんな人の助けがあって、良い映像が作れたと思う。
みんなワイルドマイルドが大好きだった。
12年の間、これだけの人々の軸にワイルドマイルドがあったんだと思うと
そのことだけはどうしてもワイルドマイルドに伝えておきたいと思った。
同窓会みたいに、ファンのみんなとおしゃべりした。
人によっては、しばらく会う機会もない。それが寂しい。
何かを手がかりに、みんなとまた会いたい。
君をずっと待ってる。
ここでずっと待ってる。
だからさよならは言わないで。
幼い瞳は、涙の数だけ言葉にできなかった。
もしも夢にはぐれて、見失うときは、
あの夏の日々を思い出して。
いつでも僕が、信じてるから。
いつでも君が、輝けるように。
(ワイルドマイルド「夏の終わり」)

振り返れば、間違ったことしかしていない。
わかりきっているのに、
僕らは今も、笑ったり、泣いたりしたりして生きている。
雅叙園に行くので、近い人は遊びましょう。
