多くの性善説と、数限られた若者たちへの依存について

つい先日 衆議院議員の選挙があった。
結果は、僕が書くまでもない。

ただ、今回の選挙にあたっては、
周辺に 強く違和感のある言説が目立って、不快だったので、
それらのことについて書き残しておこうと思う。
共通する言葉は、「若者」だ。

若年層の投票率が低い、と、僕が小さい頃から世間で言われ続けている。
集計結果によれば確かな事実のようで、それに対する異論は無い。
しかし、この事実とセットで訴えられる ある種の主張も、前々から各所で見られて、
以前から なんだか気持ち悪かった。

曰く「若者たちの投票率が上がれば、今の政治は変えられる!」

この違和感が、今回 頂点に達した。

それって、実体の見えていない「若者」たちに、
手前勝手な性善説を押しつけていやしないか。
それこそが「老害」と呼ばれるべきものではないのか。


日本において、若者たちの投票率は、
昔から低い低いと言われ続けている。
だから、良識のある大人は、若者に対して選挙のたびに
選挙権は尊いものなんだから、ちゃんと投票行くんだよ、
社会の気に入らないところを自分で変えられるチャンスなんだよ、と呼びかける。

今回で言えば、乙武洋匡さんの書いた文章が代表的だったと思う。

選挙に行かない君へ | 乙武洋匡オフィシャルサイト
http://ototake.com/mail/245/

平易な言葉で表現された、「若者」たちへの熱意は
既に若者とは言えない僕が読んでも、非常に胸に迫る 良い文章だったと思う。

でも その一方で、違和感が残って、消えなかった。
対象となっている 選挙に行かないらしい「若者」たちは、どこに見えているのか。

なんとなく 投票というのは絶対的な善行であるという前提に基づいた、
規範に従わない不良学生を仮想敵としているような、
狭量な学級委員長が 嫌味な潔白さだけで演説を打っているような。

それは、いま 選挙に行かない若者たちに、選挙に行かせるようにするために、
最大限の効果が得られる方法か、葛藤した結果なのか?
なぜ 選挙に行かない若者が多いのか、自分なりの考察に基づいた行動か?


そして、「若者」たちに投票に来てほしい、という大人たちの思いは
非常に一方的な幻想を若者たちに押しつけているような気がしてならなくなった。

「若者」たちは、間違わずに 正しい投票をする。
そして、「若者」たちの正しい投票が増えることによって、
(自分たち大人の)正しい政治志向は支持を得て、
政治的に無視できない、世の多数派となりうる。

そういうことを 心のどこかで考えてなきゃ、
若者たちの投票率を上げようなんて思わないよね?

それって とんでもなく勝手で、高慢な
大人の理想の押しつけでしかないじゃない!
どうして、若年層の数割もの人間が、
自分と同一の思想に染まってくれると期待できる?


日本において、若者たちは、
その絶対数が これからしばらくは減るばかりだ。
その一方で、世代ごとに論を異にする大人たちが
若者たちに課す それぞれの理想の未来は、
かさなり、重くなるばかりになってはいないだろうか。

絶対数において大多数であり、世の中を動かしている大人たちが、
若者たちが味方してくれれば世の中は変わってくれる、
なんて思ってるとしたら、それはダメだ。