プロフ妄想20081015

「プロフ」って形式のWebサイトはけっこう前から目についてて
あんまりおもしろみはないよなあ、とずっと思ってたんだけど
いつの間にかかなり流行っていると聞いたのは昨年のこと。

ITmedia 「プロフ」はもうかるビジネスか 流行った理由は「誰も分からない」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0711/07/news067.html

この記事の段階で、
サービスプロバイダー各社は流行の要因をつかめず戸惑っているが
ともかくプロフサイトの広告価値は上がっている、という状況。
1年経った今はどうなったのか知らないけど、
とりあえずまったく流行らなくなったということはなさそうだ。

なんでこんなもんが流行るんだろうな、と1年間もやもや考えてたら
ある日ふと腑に落ちたような気がしたので書き残しておく。

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プロフっていうのは、何も発信できるコンテンツを持たない個人にとって
最後にただひとつ残されたコンテンツなんじゃないか。

インターネットというものが一般向けになったときよく言われたのは、
何の肩書きのない個人でも、論文や写真や音楽や、そういった作品を
流通というしがらみを受けずに自由に世界中に発信することができる。
ネームバリューに頼らない、真の埋もれた才能を世界中に認めてもらえるチャンスだ、
ということだったように記憶している。
そして現在に至るまでも、そうすることはインターネットを通じてできることの中で
とても尊いことのひとつのように喧伝され続けてきているように思うんだよね。

そういう価値観の中では、プロフという形式はまったく不自由だ。
レイアウトの自由度は低いし、最先端のWebデザインに比べたら実に古くさい。
お気に入りの写真もあまり載せられない。音楽とか映像とか基本的に載せられない。
語れる文章量も乏しい。自由作文ではなく、窮屈で画一的な一問一答だ。

でも流行った。それが現実だ。
しかも、もしプロフサイトユーザーの世代がほんとうに若年層に限定できるとしたら
信じられないレベルでの世代別利用率だ。
統計局人口推計
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/index.htm

だから、流行った要因は、かつての価値観とは真逆に考えなきゃいけない。
「何もできない。だから流行る。」
つまり、何もできない能動的でない世の中の大部分の人たちが
唯一参加できる自己情報発信型サービスだから流行った、
ということじゃないのかな。
特に、自分が何者であるのかを簡単に語るだけで精一杯、というのは
アイデンティティ確立前の10代〜20代前半のイメージとしてすごくしっくり来る。

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また、上のITMediaの記事では、

人気に火がつき始めたのは、各社がパケット定額制を導入し始めた2003?04年ごろ。

とある。
これにも、パケット代を気にせずにWebアクセスできるようになった以上の意味が
あるのかもしれない。

わざわざパソコンを買ってインターネット回線を引き
興味ある情報を入手し、ときには発信するのが
能動的な人だと仮定すると、
その反対の消極的な人がたぶんたくさんいて、
以前までならそのたくさんの人たちはインターネットに触れる機会がほとんどない。

ところが、ここ10年の風潮で言えば、Webアクセス端末としての携帯電話は
どんな人でも一人一台持つのが当たり前になってきている。
どんな消極的な人にもインターネットに触れる機会が用意されたということで、
能動的な行為というよりは反射的または本能的な行動の受け皿となるWebサービスが
受け入れられる巨大な素地が生まれてきているのかもしれない。

でも、そういったWebサービスは、
かつての価値観の中ではきわめて前時代的で、退屈なものとして受け止められるだろう。

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こういった妄想を踏まえて
つまんない世の中だな、ということはニートでもできるくらいたやすい。
でも、新たな視点のユニバーサルサービスを
インターネットを通じて立ち上げようと試みる人にとっては
これまで以上にすごく重要な視点になってくるんじゃないかな。