名前のないお話なので信憑性は薄いのだけど、
任天堂ならそうするかもしれない、と多くの人が思うのは、
神、とまでは言わなくても、
少なくとも、木で鼻をくくるような扱いを受けた人が
非常に少ないからなのだと思う。
実は僕も、神、とまでは言わないけど
いま思えばなかなか乙な対応をしてもらった経験がある。
小学5年か、6年の頃。
僕は、親に買ってもらった初代ゲームボーイに夢中だった。
あんまり夢中になりすぎたんだと思う。僕は、ある日異変に気づいた。
十字キーが、うまく反応しないのだ。特に、下方向に入らない。
僕は父親に感謝したいことがいくつかあって、
そのうちのひとつは、「壊れたものは、直せる」という発想をもらったこと。
初代ゲームボーイは、いまや牧歌的なプラスネジで留められていたこともあって、
分解して、原因を突き止めるのは小学生の僕でもできた。
原因は、十字キーの下に入っているゴムパッドが、
下方向のところで切れていたせいだった。
僕は、困った。替えの、同じ部品がないと、直せないよ。
困った挙句、誰かに促されたのかもしれないけど、
僕は緊張ですごくどきどきしながら、
任天堂にお願いの手紙を書いたのだった。
「悪いところはわかってて、自分で修理したいので、部品を送ってください。」
部品の正しい名前がわからなかったので、
下手くそなスケッチを葉書に書いた。
宛先の住所は、ソフトの説明書に書いてあったところにした。
こんなのでわかってもらえるのか、ちゃんと届くのか。
まだ行ったことのない「京都」という街に、
初めてオトナの会社に出す手紙でもあった。
ゲームボーイの中身を勝手にいじって、
怒られたりしないだろうか。相手にされないんじゃないだろうか。
緊張と不安で胸がいっぱいだった。
数日して、任天堂からの封書が僕の手元に届いた。
TVのCMでよく見る、あのロゴが入った封筒が届いただけで、
胸が高鳴った。嬉しかった。
中には、特別な文章は書いてなかったと思う。
確か、部品の取り寄せ表と、
決済方法などを含む、取り寄せの手順が書かれた
ワープロ書きの案内が入っていた。
僕は、嬉しかった。
すぐに返事を書いて、部品を1つだけ送ってもらって、
そして無事修理を終えたのだった。
その後、今でもその初代ゲームボーイは
当時の部品のまま遊べる。
いま思えば、あの取り寄せ表は、
たぶん下請けの修理業者か、部品業者向けのものだったろう。
通常、個人向けに1つずつは売らないもののはずだ。
ましてや、子供なんて。
任天堂に限らない、あの時代にはどこでもそんなことがあったのかもしれない。
PL法も施行前だったはずだし、あの時代には確実に余裕があった。
いまや任天堂のゲーム機も、プラスドライバーでは開けられない。
でも、このことがあってから、
任天堂は僕の中でほんとうに特別な存在になった。
なんて、ほんとうにあった思い出話。
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